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2018-08-20

おばけは生きているものの道具である

洋画 『パラノーマル・アクティビティ』シリーズ


 バケモノはケイティを離れないので逃げても無駄という設定だから、監督は制作費が潤沢にあれば、主人公たちがヤバイ家から出てホテル等に閉じこもるが、そこでも大惨事というのも撮れたかもしれない。

この映画はエンターテイメントとして上手に作られてる。

しかし作品自体もそうだが特典映像の稲川淳二の言動や監督の話に
お化けは人間の道具
という事実が露骨に現れているとおもう。この道具は、使いこなす力量のない連中にとって自他を傷つける凶器になる。


















澤木興道老師の言葉。
 よう「幽霊というものがこの世にあるものですか、ないものですか」などと質問する奴があるが、そんなことを考えておる人間を幽霊と言うんじゃ。



 亡者が出てくるとよう言うが、それも生きているものがある間だけのことで、もし生きているものがなくなると、亡者も化けて出てこない。亡者は生きているものの道具であると、「二十唯識」には出ている。


以上「禅に聞け」沢木興道老師の言葉より 櫛谷 宗則 編 大法輪閣

(過去記事編集再録)
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2018-08-19

林の中の象のように、ひとり歩め

(ブッダの真理のことば ダンマパダ328 中村 元訳)より引用

もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。


(同329)
しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。

(同330)
愚かな者を道伴れとするな。
独りで行くほうがよい。
孤独ひとりで歩め。
悪いことをするな。
求めるところは少なくあれ。
──林の中にいる象のように。

(以上、引用終)








おれが、愚かな者だ。
しかし、だから孤独ひとりで歩むより、多くの愚かな者達と道伴れになったほうがましだとは思わない。多くの者が、まさにそう考え、そうしているのだが。

そんな生き方が楽しいとも、うらやましいとも思わない。
むしろ、目をそむけたくなる。

おれは、つらくても、さみしくても、独りで行くほうがよいと思う。

(ダンマパダ328は、理想的で幸福な人生だが、残念ながら実現しそうにない)


おれの場合は、孤独ひとりで歩む、独りで行くとは、森で仙人暮らしすることじゃなく、内心の決意のことだ。

「小人は同じて和せず」だが、その中にあって「和して同せず」の生き方をする覚悟だ。

これは尊い君子の道で、愚か者のおれにはどだい無理な話だが、それでもやるしかないところまで追い込まれた。

人生が無常であり苦であるという事実に多少でも気づくと、世間は事実の反対を向いてるから、どんなに嫌でも心細くても世間から独り立ちするしかなくなる。

それが良くても悪くても無理でも、この生き方よりできないんだから、選択の余地はない。
したがって悩む余地もない。

(過去記事増補再録)

2018-08-17

どうしようもないダメな自分


どうしようもないダメな自分を丸ごと心底信じきること←リンクあり

機の深信がそのまま法の深信であるという、機法一体の自覚←リンクあり

この二つのことは同じ内容だ。

自力と他力の表現法に違いがあるだけ。

(過去記事再録)

2018-08-17

怒った人に怒り返す人は、悪をなす

(ブッダの真理のことば ダンマパダ222 中村 元訳)より引用
走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人──かれをわれは〈御者〉とよぶ。
他の人はただ手綱を手にしているだけである。
(〈御者〉とよぶにはふさわしくない。)

(引用終。強調はわたしです




 むらむらと起る怒りをおさえられない人、自分の感情に引きずりまわされる人は意気地なしだ。

そういう意気地なし共が、図々しくも、世間の常識として「怒るべきときに怒らない人間は意気地なしだ」という。

怒りの必要と効用を信じる世間の常識は正しくない。

たった1度の怒りは、それまで積みあげた万徳をも一瞬で根こそぎ破壊する猛毒を持っているからだ。







(ブッダの感興のことば第20章11,12,15,18,19)より引用
他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、その人は、自分と他人と両者のためになることを行っているのである。

自分と他人と両者のためになることを行っている人を、「弱い奴だ」と愚人は考える。──ことわりを省察することもなく。

集会の中でも、また相互にも、怒ってことばを発してはならない。
怒りに襲われた人は、自分の利益をさとらないのである。

怒った人に対して怒り返す人は、悪をなすことになるのである。
怒った人に対して怒らないならば、勝ち難い戦にも勝つことになるであろう。

怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。
真実によって虚言にうち勝て。

(引用終)




  気づきのフォーカスを、理不尽な相手からずらし、
そんな相手に反応しつつある自分の怒りの感情に合わせる
のが、できる〈御者〉のテクニックだとおもう。


憎い相手を目の前にしては、なし難いことだが…なんとか出来る様になる必要がある。

(過去記事増補編集再録)

2018-08-16

賢明な悪人は存在しない

(ブッダの真理のことば ダンマパダ67,68 中村 元訳)から引用

もし或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。

もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。

(引用終)


悪の定義、善の定義です。


(同69,71)から引用
愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。
しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。

悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)
その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。

(引用終)



文脈は違うが、聖書の次の言葉を連想した。

(マタイによる福音書7・16~18より 新共同訳)から引用

茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。

(引用終)


人間は、思うさま良いことも悪いこともなし得る。
しかし 究極の正義は一瞬たりとも空しくなることがない。
いかなる法律や道徳よりも、厳密で正確無比の

自業自得果の法則

があるからだ。
善因善果・悪因悪果・自因自果で、


ごまかしは一切通用しない

ということだ。




賢明な悪人は存在しない。

悪人とは「ごまかしは一切通用しない」という事実が分からない愚者だ。




(明恵「栂尾明恵上人遺訓」)より引用します。
人は常に、浄玻璃の鏡に、日夜の振る舞いのうつることを思うべし。


(過去記事編集再録)
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       人間の罪とはなにか。
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本当の自分を信じ切れないことが罪だ。

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